‘嘘をつくのは楽しい’といったのは作家の村田喜代子だったか。
「鵙屋春琴伝」という書を‘捏造’して、それを元に書いたという体裁をとったのが「春琴抄」。谷崎はこれを書いていたときさぞ楽しかっただろうなあ。 ☞
学術的な高い評価も社会的な地位も得ている学者が、全く架空の人物をでっちあげてそれについての学術書を上梓し、捏造を追及されてついになにもかも失った。
神里達博がこの事件に関して「春琴抄」に絡めて触れながら、それにしても理解しがたい、と書いている。(朝日新聞19.5/17)
きっと、この人は‘嘘をつく’愉悦の誘惑に抗しきれなかったのではないだろうか。営々として築き上げた名声や地位を一気に失うリスクを冒してでも。
ありうべきもうひとつの真理をでっちあげる。当然、それを構築するためには持てる高度な学識・知見を総動員しなければならない。逆立ちした学究心、麻薬的な高揚感とスリル。
有名な贋作としては、‘永仁の壺’事件がある。
鎌倉時代の古瀬戸として重文指定されたのが、実は加藤唐九郎の贋作だった。
唐九郎は自ら編纂した陶器辞典に写真を載せ解説まで執筆した。きっと秘めやかな悦びがあったに違いない。
彼はこの事件で人間国宝の認定も解除されてしまうが、この人のばあい、その技量に対する名声は却って高まったそうだ。
唐九郎のレベルとは比較にもならないけれど、山本福松の人形の模刻を再びこころみている。前回は福松と同じ桐塑だったが今度のはビスクにするつもりだから、贋作にもならない。でももしや福松の真作では、なんていわれるくらいのことができたら楽しいだろうなあ。
では、私の他愛ない‘嘘’をひとつどうぞ。 ☛ 伊加川椎蔵博士著「人形大全」〈櫻ビスク〉