本に巻き付いている帯 ― 腰巻ともいうが ―、購入したら外して見返しあたりに挟んでおくことにしている。そのままだと、いずれ背表紙などは日焼けして褪色したところと原色が残ったところとにくっきり分かれてしまうからだ。
だが時に腰巻を外すとデザイン的にバランスを欠いてなんとも情けない姿になってしまうことがある。 ☞
まるで、上はスーツにネクタイなのに、下半身はすっぽんぽんか、せいぜい下着のパンツ姿のようではないか。装幀した者はいったいどういうセンスをしているのか。
帯・腰巻というものは、基本的には新刊として本屋に並べて売られる時のためのものであって、本体とともに半永久的に保存されるはずのものではあるまい。図書館の書架に並べられるとき然り、古書として流通するとき然り。されば、装幀者はこれが外された時を想定してデザインを考えるのが当然ではないか。
それなのに、書店に並ぶまでの役割と思っているのか、あるいは単なる手抜きなのか、時折そんな例を見かける。
歌集として空前の300万部を売った俵万智の「サラダ記念日」。これもそんな座りの悪い典型的な例だ。せめて地の辺に出版社名でも入れとけよ。手掛けたのは超売れっ子装幀家の菊地信義だ。
こんなことに目くじらをたてたくなるのは、職業としてではないが、頼まれて何冊か装幀を手掛けたことがあるからだ。
表紙をはじめとするデザイン、各所に用いる紙の種類、活字の種類やポイント、字や行の間隔、のどや天、地、小口への余白の取り方、ノンブルの位置まで吟味するのはもちろん、腰巻のデザインも当然おざなりにはできない。
一番無難なのは、腰巻をその下の絵柄と同様にしてしまうこと。そうすれぱ腰巻を着けても取っても違和感はなくなる。
だが、着脱いずれでもそれなりの表情が出るようにするのが装幀者の腕の見せ所というものではないか。まあ、そんな例はあまり見ませんがね(増刷の際に腰巻の惹句・色味なども変わってしまうこともあるせいだろうか)。