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影丸の謎

 

 伊賀の影丸につながる者が我が家に来たので、久々に読み返してみたくなった。

 影丸はもちろんリアルタイムですべて読んでいるはず。

 早速‘甘損’で全巻を購入。きれいなやつがたったの3000円。

 読み切ってしまうのが惜しくて、読み進めるのを逡巡してしまうほどだったのに、とうとう読み終えてしまう。9話しかないから、しかたがない。 ☞

 されば、なお影丸を味わい尽くすべく、折々に芽生えた“影丸の謎”を考察することで渇を癒すことにする。

 

  その1 弱すぎないか? 阿魔野邪鬼

 

 影丸の宿敵といえば阿魔野邪鬼。‘明日のジョー’での矢吹丈に対する力石徹のようなもの、といえなくもないが、ちょっと待ってもらいたい。

 確かに忍者として、剣術、手裏剣、跳躍力、動体視力、瞬発力等はそこそこ秀でているようではある。だが、あまりにも負けすぎるのである。

 

 邪鬼が登場するのは第一部「若葉城の巻」、第二部「由比正雪の巻」、第七部「邪鬼秘帳の巻」であるが、彼はこの中で、なんと8回も負け、2回相打ちで死んでいる。

 死んでも甦るという特異体質をもっているので、それを利用して、掌握した相手の必殺技を封じてリベンジしたりもするのだが、それって技とはいえまい。そもそも、勝てるなら最初から勝っちゃえばいいので、いちいち殺される必要はないはずだ。第一、彼ははなから負けるつもりではなく、一生懸命戦うのだが、図らずもやられちゃうのだ。

 

 まあ、ストーリー展開の都合上、いったん死んでみせねば、彼が不死身だということが証明できないので、やむをえない面もあろうが、それにしても脇役のような相手にまで一対一で負けるのはいささか情けない。不死身ということのほかには、自ら磨いた‘忍法何々’といった必殺技を持っているわけでもない。

 

 彼にはやられてもどうせ生き返るからいいや、という安易な気持ちがどこかにあるのではないか。(現に自分が“あいうちをもっとも得意とする”との発言もあり、それでも“勝った”というのはいかがなものか。)自らの資質にあぐらをかいているというほかあるまい。もっと退路を断った気持ちで戦うべきであろう。

 以下が邪鬼の敗北の歴史の記録である。(画像はクリックすると拡大されます ('ω')ノ)

影丸との初対戦。あっけなく‘木の葉がくれ’にやられる。

隠密 大八の含み針に敗れる。この秘密兵器を知り、生き返ってからリベンジするのであるが…。

影丸に襲いかかるも、簡単に刀を弾き飛ばされる。ここでの勝負はつかなかったが、だらしないぞ、邪鬼。

そのあと、影丸の仕掛けた罠に突き刺される邪鬼。

隠密 彦三のけり上げた刀に突き刺される。これも後でリベンジはするのだけれどねえ…。

影丸らに攻め込まれて、城もろとも自害。

以上「若葉城の巻」


影丸と相打ちに。復活後、手負いの影丸をやっつけられると思ったのだが…。邪鬼がもっとも‘勝利’に近づいた瞬間。

影丸に化けた陰流忍者と相打ちになる。相打ちなら、‘勝った’と思い込んだのだったが…。

影丸との正面対決に完敗。しかも熟知しているはずの‘木の葉がくれ’に敗れたうえに、とどめをささずにおく、という情けまでかけられてしまう。この後、邪鬼は影丸に対する闘争心を失ってしまったようだ。

以上「由比正雪の巻」

 

土蜘蛛党に囲まれて縄で雁字搦めにされたうえ毒針で倒される。

土蜘蛛党 幻斎坊の忍法‘群狼花’の前に敗れる。

この後、幻斎坊を倒した影丸に発見されるが、密かに影丸を助けていたことから、そのおかえしとして見逃される。

以上「邪鬼秘帳の巻」

 

 


  その2 影丸っていくつ?

 

 影丸の初登場は第一部「若葉城の巻」だが、これが年齢的にももっとも若い時期のものであることは間違いなかろう。

 注目すべきは、この物語の初めの方での邪鬼の発言である。

 ここで邪鬼は、影丸を‘子ども’と言っている。‘子ども’とは何歳か?

 15歳で元服していた江戸時代であることを勘案すれば、せいぜい10歳以前と考えるのが妥当なところではあるまいか。

 問題はその後である。

 

 手掛りになるのは、全9話中3話に登場するやはり邪鬼の発言である。

 「由比正雪の巻」で再登場した邪鬼は、ここで若葉城での出来事を‘そのむかし’と言う。5年程度では‘そのむかし’とはいわないだろう。10年はたっているとみるべきではあるまいか。

 

 そして邪鬼は影丸を‘こぞう’ともいっている。

 

 同じ「由比正雪の巻」で、影丸に化けようとする夜叉王も‘まだ小僧のようだ’という。されば影丸はまだここでは20歳は超えていまい。

 

 すなわち影丸は「若葉城の巻」で6~7歳、「由比正雪の巻」で16~7歳とみるのが、当たらずとも遠からずといったところであろう。

 

 

 さらに「邪鬼秘帳の巻」では‘昔が昔だからな’との発言がある。

 ここで邪鬼には既に影丸に対する戦意は失せ、敵対していた時 ― 「若葉城」~「由比正雪」の頃を‘昔’といっているのである。すなわち「由比正雪」からさらに10年ほどを経ていると考えるべきだろう。

 つまり、この頃すでに影丸は26~7歳に達しているはずである。まさに円熟の域にあったであろう。

 

 では、この3話以外ではどうか。

 はっきり年代順がわかるのは、物語の発生年が明記されている巻である。それは ―

第二部 由比正雪の巻   1651(慶安4)年

第四部 七つの影法師の巻 1653(承応2)年

第五部 半蔵暗殺帳の巻  1654(承応3)年

 であり、それ以外は明記されていない。また、「第七部 邪鬼秘帳の巻」の続編が「第八部 土蜘蛛五人衆の巻」である。

 以上から、明らかなのは ―

一 < 二 < 四 < 五 < 七 < 八

 ということになる。

* 第七~八部は、第四部と第五部の間とも考えうるが、第四部は承応2年12月、第五部は承応3年春であり、期間が短かすぎる。さらに、影丸は第四部の影法師との戦いで重傷を負っている。この間に土蜘蛛党との闘いがあったと見るのは無理があろう。

 また、第二~第四の間に第七~八の可能性は、第二~第七の間に約10年が経過しているという先の考察からありえない。

 あとの3話の年代は不明であるが、上記の6話が年代順に並んでいることを勘案すれば、9話はすべて年代順に進んでいると考えるのが妥当ではなかろうか。

 従ってこれらを総合すれば、影丸の年齢の目安はおおよそ ―

第一部 若葉城の巻      6歳

第二部 由比正雪の巻    16歳

第三部 闇一族の巻     (10代)

第四部 七つの影法師の巻

第五部 半蔵暗殺帳の巻    ↓

第六部 地獄谷金山の巻

第七部 邪鬼秘帳の巻    26歳

第八部 土蜘蛛五人衆の巻   ↓

第九部 影丸旅日記の巻

 となろう。

 

 なお、「第三部 闇一族の巻」でも、影丸は、闇一族の首領 蓮台寺に‘小僧’といわれている。「第二部 由比正雪の巻」からほど遠からぬまだ10代とみるのが妥当であろう。

 「第九部 影丸旅日記の巻」では、30近くになっていたであろうか。

 

 

  だが、ここで巻の進行について、看過できない齟齬が浮かび上がってくる。

 

 「第六部 地獄谷金山の巻」で、影丸の仲間 月之助が、影丸に化けた飛騨忍者の化けの皮をはがすために鎌を掛けて正体を暴いたうえで“影丸の背中に傷はない”と発言している。

 しかし、「第四部 七つの影法師」で、影丸は、影法師 幽鬼に背中から重傷を負わされているのだ。

 このため影丸は杖をつきながら最後の戦いに臨まなければならなかったほどの傷である。この傷跡が残らないわけはあるまい。(なお第八部でも背中に矢を射られている。忍者は古傷だらけの満身創痍なのだ。)

 すなわち、この傷は第六部の後の戦いで負ったものと考えるべきである。

 されば、9話の順は ―

   一 < 二 < 三 < 六 < 四 < 五 < 七 < 八 < 九

 といったところであろう。

  ちなみに、影丸の言葉遣いを比べれば顕著な違いが見える。

 左が第一話、右が第九話である。

 帯刀の士分でありながら、第一話での初々しさはどうだ。まあ子供だからな。

 顔立ちと体つきはあまり変わってないけどね。

 

 


  その3 ぼく、影丸?

 

 影丸は自分をなんといっているか?

 

 「第一部 若葉城の巻」の影丸。

 まだ、6~7歳の子供であった影丸が‘ぼく’というのは、やむをえない、というよりは、まあ、当然というものだろう。

 では、その後はどうか? 

 

   仲間どうしの時には、基本的に‘おれ’である。(左:第二部 由比正雪,右:第九部 旅日記)

 ま、妥当なところですね


 

 敵と対するときは、‘わたし’ということもある。(左:第五部 半蔵暗殺帳,右:第九部 旅日記)

 真剣っぽい雰囲気が出ますね。


  完全に優位に立っている相手の時、例外的な言い方をすることも。

 ‘わし’(第四部 七つの影法師)。

 ‘せっ者’(第六部 地獄谷金山)。

 これは、私が検証した限りではそれぞれ唯一の例。


 だが! ここで思わぬ事態が!

 ‘ぼく’をとっくに卒業したはずの影丸であったが、つい思わず‘ぼく’といってしまったシーンがいくつかあるのだ。


 左端は「第六部 地獄谷金山」で敵に捕らわれたあと、仲間に救い出されてからの発言。

 次の3つは、「第八部 土蜘蛛五人衆」。土蜘蛛党の報復のターゲットになり、仲間に守られる。

 いずれも弱った/守勢に立たされたときに思わず‘ぼく’といってしまうのである。

 さらに、「第七部 邪鬼秘帳」では、なんと、邪鬼にたいして‘ぼく’といってしまう!

 先に検証したとおり、長年にわたる宿敵であったが、この時邪鬼はすでに影丸にたいする戦意をなくしている。(ここで邪鬼は“いまはおまえと戦う気などない”といっている。)

 緊張が解けたがゆえの‘ぼく’だったか?(でも、影丸は邪鬼の戦意喪失をこのときはまだ信用していない筈だから、ちょっと油断しすぎじゃね?)

 

 だが、影丸は公儀隠密というれっきとした‘社会人’(?)である。

 上司の服部半蔵に対するときは、‘影丸’という。

 やっぱりこれが一番忍者らしくていいですね。


 

以上、「伊賀の影丸」をめぐる考察でした。

しかし、まだまだこれだけではないぞ!?? 

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