年とともに人の名前が思い出せなくなるのは自分だけではなさそうだ。
年少の頃に関わった人の名はしぶとく覚えているのに、頻繁に会っていても最近の人ほどふと失念してしまう。データは残っているのに、それを引っぱり出す検索機能がポンコツになっているらしい。
それが、近頃とみに名前だけでなく通常の語句にも及んできた。 ☞
こんなブログ程度でも、ときにイメージしている言葉が思い出せなくて悶々とすることがある。
ほら、幼い子が哀れっぽい姿でいるのを見たときによくいう、あれ、あれなんていったっけ…。
しょうがないので、冒頭の音だけからでも思い付くのではと、ア…イ…、というぐあいに五十音を頭のなかで口ずさんでみるのだけれど、やはり駄目だ。
そんなことが度々になって、とうとう類語辞典というのを買った。
索引で‘可哀想’でも‘哀れ’でも引くと、それにつながる類語の載るページが示される。
そのページを開けば、…ああ‘不憫’! そう、これこれ。こんな便利なものがあるとは。
しかし、こんなものに頼りきっていると、どんどん脳みそも劣化してきそうなのがこわい。
長年つかいふるした辞書。
広辞苑はもともと姉が使っていた昭和39年発行の第一版(第12刷)。
ときにへっ?てな記述に出会う。
【妖怪】…現代では学術的に説明できるものが多く、大抵は物理的及び心理的現象や偶然的な見誤りである。
そーなんですか、新村出博士。水木しげるが聞いたら怒りそうじゃね。
ちなみに、最新の第七版にはこの部分は消えておるようです。