映画を早送りや飛ばしで観る若者が増えているのだとか。あまつさえ“ファスト映画”なる違法も摘発された。映画ももはや消費されるべき情報でしかないのだろう。
嗤うべし、それでは名優の真の凄みを味わうことはできまい。早送りどころか、スローでこそはじめてそれを思い知ることができるのだ。
例えば、日本映画 黄金期の至高の女優 高峰秀子の演技。 ☞
昭和20~30年代の日本映画をよく観ていたことがあった。普通に鑑賞するほか、その頃つかっていたパソコンにビデオの静止画像をキャプチャーできる機能があって、あらためて気に入った画面を保存して自家用のカレンダーをつくったりしていた。
お気に入りの瞬間を捕まえるには、ビデオ画面をスローにしたりコマ送りにして静止させる。そんな作業のなかでとりわけて感嘆させられたのが高峰秀子だった。
昭和29年、木下恵介監督「二十四の瞳」。(現在テレビを持たないので改めてVHSで確認することができない。記憶はやや不正確かも…。)
修学旅行引率中の大石先生が、家が没落してうどん屋で働いているかつての教え子 松江に出会うシーン。“松っちゃん、手紙ちょうだい。先生も書くわ。”と語りかけたあとの高峰秀子の表情 ―。
* 画像はフォトギャラリー形式です。クリックすれば連続して見られるはず。
慈しむように松江を見やり、そして励ますような笑顔を送ろうとする。だが、それが所詮気休めにしかならないことに気付いて笑顔は途中でこわばり俯いてしまう…。
この間、わずか2~3秒だろう。ふつうに観ていて、このデリケートな演技を意識にのぼらせることはできなくても、この奥行きの深さはいつの間にか心に残っているはずだ。
日本映画の最高傑作のひとつ、昭和30年、成瀬巳喜男監督「浮雲」。
流転のすえ病んで、ついに屋久島で死の床につくゆき子。なんと、このラストシーンの数分間、高峰秀子は蒲団から出した顔の表情だけで演技する。
昭和39年のやはり成瀬巳喜男監督「乱れる」。義弟を演じる若き加山雄三(27歳)と未亡人役の高峰秀子。
急展開のラストシーン。取り乱して駆け出した礼子が立ち竦んで見せる表情。波打つ感情が、にもかかわらず大仰さのない抑制された微妙な表情の変化によって雄弁に表現される。高峰秀子のこの演技でなければこれでジ・エンドにはできないよなあ。
随所の台詞らしい台詞のないシーンで見せる演技が実に味わい深い。脚本は夫君の松山善三。
しかし、昭和20年後半から30年代にかけての高峰秀子は本当に素晴らしかったなあ。(もちろんリアルタイムで観たわけじゃないですけどね。)
昭和26年 カルメン故郷に帰る 木下恵介
28年 煙突の見える場所 五所平之助
28年 雁 豊田四郎
29年 二十四の瞳 木下恵介
30年 浮雲 成瀬巳喜男
32年 喜びも悲しみも幾歳月 木下恵介
33年 張込み 野村芳太郎
35年 女が階段を上る時 成瀬巳喜男
39年 乱れる 成瀬巳喜男
戦前の子役時代から人気があったけれど(なんと4歳から出演している)、日本映画の黄金期にまさに‘旬’でしたねえ。
学校にも満足に通わせてもらえなかったらしいのに、とても頭のいいひとだったことが対談などでもわかる。エッセイもすごく面白い。(「私の渡世日記」、これは傑作だ!)
銀幕からは想像もつかない聊か伝法なひとだったようで、カウンターで並んで呑んでいた木下恵介が酔って、“いやだねぇ、このオトコは!”と高峰秀子の肩を叩いたという逸話をどこかで読んだ。彼女自身のエッセイだったかな。