横浜人形の家プチギャラリーの展示を模様替え。
夏着だった‘り’に代えて‘にへ’を起用。少しく華やかな彩どりを。羽織を掛け帯地を敷く。やりすぎ? う~ん、年末年始に向けて、ま、いっか。
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馬車道~関内あたりにもいい蕎麦屋がいくつかあるようだ。
だが、なんということか、目星をつけていた店は次々に3軒、予約で満席だという。やっと4軒目の利休庵に入ることができる。それもかろうじてたったひとつだけ2人席が運よく空いていたおかげ。2階も合わせると125席あるという店内は満杯。グループで店内で待機している人たちも。
蕎麦だけでなく、蕎麦前も卵焼きやかまぼこのようなありきたりなものばかりではなくて目移りする。
お通しの海苔の佃煮、鰊と焼き茄子の旨煮、独活と浅利の酢味噌和え、鴨と下仁田葱・九条葱のおろしポン酢和え、酒は浦霞を2合。締めのせいろ。
お通し(50円!)もふくめて料理はいずれも吟味されている。思い付きや奇を衒ったものではなく、積み上げた自信に裏付けられているかのようだ。蕎麦は二八の機械打ち(多分)で、こだわりの、ということもない見たところ平凡なものかと思ったが、コシも香りも十分で汁との相性もぴったり。口のなかにいつまでも蕎麦の香りが残る。
店内は待ち席の人もいて喧噪状態だが、おばちゃん店員たちは皆きびきびと立ち回る。料理も待たされるというほどのこともなく出される。献立も多く注文も次から次へと飛び交っているのに、厨房も要領がいいのだろう。こんなたくさんの客をこなしながらこの安定したレベルを保つとは、なかなかのことではあるまいか。(この店のホームページはトップが〈厨房の調理のさま~できた料理を客席に運んでいく店員の後ろ姿〉の動画になっていて店の自信と矜持が感じられるようだ。 近頃人気のお洒落な店でも、趣味が突き抜けたこだわりの店でも、また暖簾に胡坐をかいた老舗でもない、惰性に流されず手を抜くことを知らない手堅い店だ。)
店内では日野原重明みたいな風貌の調理場白衣の老人がのそのそと歩き回っては客に話しかけたりしている。現場が好きなこの店の社長? 待ち席の客に“わるいねえ、待たせちゃって”とか、配膳された料理(鰊と焼き茄子の旨煮)を覗いて“これはうちの渾身の作…”と告げたりする。そういえば店に入ったとき、えーっと、と店員が戸惑っているところに顔を突き出してきて、あそこが空いてるじゃないかと差配してくれたのもこの‘社長’だった。それから肩にかけている大荷物を見て、“なんの楽器?”、いや人形だと言うと、また“なんの楽器?”店員が“人形ですよ”“ああ、頭はどっち?”。どうやら置き場所を考えてくれたようだ。客にため口で、いささかおせっかいなのが鬱陶しくもあるが、なかなか憎めない人だ。戦後まもなく昭和22年創業だというから微妙だけれど、この人が手塩にかけた店なのかな。
馬車道駅に戻る。途中、過日転居して見付けられなかったシルスマリアの前を通りかかる。おお、ここに移ったのか。看板商品の生チョコ‘公園通りの石畳’。