五・七・五くつで数えて立ち止まるママとこのごろたん歌でさん歩 松田梨子(8)
松田梨子・わこ姉妹の短歌。
数か月前ふと朝日の短歌投稿欄を目にしたら、松田梨子という名が。へえと思っていたら別の日にはわこさんの名が。小学生だった姉妹はすでに二十代になってからもずっと朝日歌壇の常連でいるらしい。
などと寝ぼけたことを言っていたら、過日 夕刊の一面に姉妹の記事が。今年の6月にはすでに3冊目の歌集が出版されているとか。さっそく甘損で取り寄せる。(記事の影響もあろうか、今ではすでに品切れになっているようだ。)
2012年から20年(わこさん小5~高3、梨子さん中2~大3)までのうた。その冒頭には次のうた。
青じそのおいしさに気づいた私こうして人は大人になるんだ わこ(10)
丸谷才一ではないが、短歌というものはいわゆる‘王朝’風が本来であって、塚本・葛原から穂村など(前衛的な)現代のものだって、勅撰集にカテゴライズされた四季・相聞・述懐等の概念が根っこにあるはず、あるべき、という頑迷なこだわりが頭のどこかにこびりついているので、そのおおくが身辺の生活詠で占められる新聞の短歌投稿欄などというものにはさして関心がなかった。
だが ― 。松田姉妹の短歌は、いい。あらためて手もなく感嘆、陥落し、とうとうもう古書でも入手できない第一、第二歌集を手に取るべく国会図書館にまで赴いたことは、先日のブログ記事に書いたとおり。
歌集のコピーを入手するのに飽き足らず、朝日歌壇での年々の入選歌まで追ってしまう。
姉妹のうたが朝日歌壇に載るのは2010年から。この年 梨子さん小6、わこさん小3。まず、選者 高野公彦がすっかりやられ、それから馬場あき子、佐々木幸綱、永田和宏という短歌界の重鎮が毎月争うように入選させはじめる。(この年、高野、馬場、佐々木はそれぞれにわこさんのうたを年間秀歌十首のうちの一首に選出。その後も4者はたびたび姉妹を年間秀歌とし、ついにふたりは選者が各々年間一首を揚げる朝日歌壇賞も受けている。)
姉妹はこの15年間にそれぞれ300首以上が入選しているという。図らずも、受験、恋愛、失恋、就活といった成長の記録とも、近況報告にもなっている。(しばらく入選がないと、“今月は松田姉妹の投稿はないのか”という問い合わせがあるとか。また、「今月の松田姉妹」をテーマにするブログなども。)
“孫の成長を見るよう”とか“すっかり親戚のおじさんの気持ち”などというネット上の感想もあって、選者たちの心持ちももはやずいぶんそちら傾いているように見える。
さらに、この実に仲のいい姉妹が同時期にお互い詠むこともたびたびあって、彼女たちの姿がビビッドに描き出されるのも楽しい。
目を開けてねえちゃんのソナタ聴いているインフルエンザの布団の奥で わこ(10)
きのうからインフルエンザの妹はしゃべらない「ママ」の他には何も 梨子(13)
お出かけはいつも制服でも私気付いてしまったねえちゃんの恋 わこ(12)
妹がそれは恋だと断言しゆっくり回り始める風車 梨子(15)
白い息吐いて笑顔で手を振ってねえちゃんセンター試験へ向かう わこ(15)
妹が作ってくれた弁当を持って出かけるセンター試験 梨子(18)
だが、“孫のような”“仲のよい姉妹”の“成長を見守る”といったような要素ですべてが語られるものではもちろんない。
朝日歌壇には子供のうたもしばしば選出される。しかし、それらは概して舌足らずな物言いが却って可愛らしい、微笑ましいといった態のものではないか。そんなたどたどしさは幼かったふたりのうたにはない。
といって、妙に大人びたこましゃくれた背伸びや、褒められようとおもねるこざかしい媚、といったものとも無縁だ。大人顔負けというのでもない、いや、大人などにはとてもうたえないような、あくまでも生き生きとした感性に裏付けられた子供にしかうたえないうた。
その魅力のひとつが卓抜なリズム感だ。
母親の由紀子さんが「たんかでさんぽ」のあとがきで書いている。
子供たちと過ごす長い一日、よく散歩に出かけた。しりとりをしたり、なぞなぞをしたりしながら歩いているうちに、五・七・五のリズムで歩く楽しい散歩を思いついた。近所の庭にかわいいチューリップの花を見つけた時、「チューリップ」と大きな声で言いながら五歩だけ歩いた。しばらく止まって、娘が「かわいいピンク」と七歩進んだ。花、雲、ネコ、風…三十一文字でゆっくりと歩を進めながら、見つけたものは数えきれない。
短歌の初心者は、まず指を折って語数を数える。だが、姉妹は短歌の韻律を足で、体で覚えることをまず‘体得’した。この経験は大きかったのではないか。
五・七・五くつで数えて立ち止まるママとこのごろたん歌でさん歩 梨子(8)
歌集のタイトルになったうた。すでに紛れもないリズム感のよさ。
“ママとこのごろ”とうたう。“このごろママと”ではない。“このごろママと”では“ママと”でつっかえリズムが停滞してしまうのだ。“このごろ”というころがるような語感が“たンかでさンぽ”という弾けるリズムにスムーズに流れていく。
わこさんのなんと5歳のうた。
パパのいすげつかすいもくきんようびからっぽたいくつどようびはまだ わこ(5)
単身赴任で土曜日にならないと帰ってこないパパのことを、自分の気持ちを託した椅子の立場になってうたう。あれこれ説明しようとすることなく実にリズミカルだ。
いずれも短歌を作り始めたばかりのうた。天性の才でもあるか。
素晴らしいリズムは挙げればきりがないけれど、とりわけ好きなものを掲げてみる。
ママが差す日傘の影にぴょんと入りそのまま影絵みながら歩く わこ(10)
話せた日すれ違った日見かけた日なんでもなかった十四歳の日々 わこ(14)
泣き虫でけっこうがんこで甘えん坊はねる音符のような妹 梨子(11)
なっちゃんの髪をゆらして夏の風3年5組を斜めに通る 梨子(14)
“なっちゃん”のうたは“な”の頭韻になっている。偶然か、意識してか。
身についたリズム感は、句跨りも難なくこなす。
「ウソも方便」と笑ったママなのに私のちいさなウソを許さない わこ(12)
泣きじゃくる妹をパパがそっと見る葉の陰のかたつむりみたいに 梨子(12)
字余り・字足らずの‘破調’でもリズムは崩れない。三連符を弾くような感覚か。
ということはママになってもばあちゃんになってもひらがなわたしの名前 わこ(9)
とぼとぼと前を歩いている君に気づかないふりという選択肢 梨子(14)
リズム感だけではない。選ぶ言葉のセンス、曇りのない視線。
ねえちゃんの好きな人ってどんな人ナポリタン食べる横顔に聞く わこ(10)
ゆるやかな食事のさなか、いきなりデリケートな質問を直球で投げ込んでくる妹。‘ナポリタン’を口にしたまま一瞬固まってしまう姉。その情景が‘横顔’の一語によってあざやかに描き出される。この‘横顔’の冴えは、あの荒井由実の名曲「埠頭を渡る風」の一節を想起させはしまいか。
〽 ゆるいカーブであなたにたおれてみたら
何もきかずに横顔で笑って
セミの声ななめに浴びてあるいてく進路懇談会は二時から わこ(14)
中3の夏。まだ正面から受け止めきれないけれど、でも避けられない道。‘ななめに’という表現にその気持ちが言い表わされる。中途半端に間が空く‘二時’というのも気の重さの一因か。
6センチ切って下さい6カ月の恋にサヨナラする美容院 わこ(17)
バッサリとイメージチェンジするほどでもないにしろ、‘6センチ’はそれなりに印象が変わる長さだ。その微妙な加減が‘6カ月’で終わる恋と絶妙に見合っているではないか。
しゃぼん玉近づくように笑い合う「モモって呼んで」「リコって呼んで」 梨子(13)
同じクラスになって友達になろうとはじめて自己紹介し合う。わくわく浮き立つ気持ちと、しかしまだふわふわと地に足が着いていない感じ。“しゃぼん玉”ほどこれに的確な喩えはないだろう。
試着室鏡の中に私より先にセーラー服着た私 梨子(12)
入学する前の試着。気持ちはまだ中学生になりきれていない。しかし鏡にはもうすでに中学生然とした私がいて私を見つめている。未来の私に私はまだ追いついていない。
汗よりも涙はゆっくり落ちてゆく閉会式が終わった砂に 梨子(12)
はしゃいで駆け回った運動会。すべてが終わって寂しい。流れる時間のスピードと気持ちの落差が‘汗’と‘涙’に代弁される。そしてその寂しさはさながら‘涙’が‘砂’に浸み込んでいくようにじわじわと胸に広がっていくのだ。
しかしながら、松田姉妹のうたは、あれこれこんな能書きを垂れながら鑑賞するものではあるまい。
梨子さんも、「短歌は自分の日記のようで…清書して投稿したら終わり、みたいな感じです('24.10/5朝日新聞)」と言っているではないか。大上段に得々と論じるのは野暮というものだろう。
それでは、わたくしもすっかり親戚のおじさん気分になって、好むところのままに姉妹の『一年一首』でも編んでひとり悦に入っていようか。
どうしても一首に絞れなかった年もあるのは大目に見られたい。
◇
()内の年齢は誕生日前で統一しました .
* 印は朝日歌壇入選だが歌集には収録されていないもの
2021年以降は歌集に未収録 .
2007
パパのいすげつかすいもくきんようびからっぽたいくつどようびはまだ (わ5)
くるりんとおおきなめをしたしかたちがわたしをみてるわたしもみてる
五・七・五くつで数えて立ち止まるママとこのごろたん歌でさん歩 (梨8)
あおむけで日曜日の空見ていたら雲も私をのんびり見てる
2008
まな板は夏いそがしいなすトマトきゅうりスイカを次々のせる (わ6)
2009
おふとんでママとしていたしりとりに夜が入ってきてねむくなる (わ7)
友達とケンカの妹赤い目で五年二組を訪ねてきたよ (梨10)
2010
友だちの右かた私の左かたぬれて笑って一本のかさ (わ8)
泣き虫でけっこうがんこで甘えん坊はねる音符のような妹 (梨11)
2011
きっさ店ママのコーヒー飲んでみた苦くて口がガ行になった (わ9)
妹の笑顔の寝顔かわいくて歯磨き中のパパまで呼んだ (梨12)
汗よりも涙はゆっくり落ちてゆく閉会式が終わった砂に
2012
ママが差す日傘の影にぴょんと入りそのまま影絵見ながら歩く (わ10)
「お前ゆでたまごに似てる」ゆでたまごゆでたまごってあのゆでたまご (梨13)
しゃぼん玉近づくように笑いあう「モモって呼んで」「リコって呼んで」
2013
登山靴にわこって太く書いた時頂上に立つ決心をする (わ11)
テストの日覚えたことを一滴もこぼさないよう水平に歩く (梨14)
2014
いつしても何度やっても幸せだ制服のリボン結ぶ練習 * (わ12)
サーティーン少し長めに言ってみる銀色の楽器みたいでステキ
人間は迷って悩んでしぼむけどときめいてまた少しふくらむ * (梨15)
ミルクティー見ているだけで眠くなる万有引力強まる秋は
2015
話せた日すれ違った日見かけた日なんでもなかった十四歳の日々 (わ13)
偶然を待っていたのに図書室でまさか日焼けした君に会うとは *
あこがれる「特筆すべき」という言葉高二の日々のどこに使おう (梨16)
2016
半袖のセーラー服はもう今日でおしまいさよなら中3の夏 (わ14)
呼び捨てかくん付けか迷っているうちにすれ違ってく夕立の駅 (梨17)
2017
中庭のロープが解かれ心臓と一緒にさがす受験番号 (わ15)
赤本と卒業式の案内がリュックで隣り合ってる二月 (梨18)
2018
新しい楽譜を買った春の日は靴も歩幅も私も音符 (わ16)
男泣きすぐする君と過ごすうち泣かない女に磨きがかかる (梨19)
2019
6センチ切って下さい6カ月の恋にサヨナラする美容院 (わ17)
バーという場所に右足踏み入れて大人の顔をして左足 (梨20)
2020
透きとおるセンター試験の朝の空名前を付けたくなるような青 (わ18)
「10年後の理想のあなた」たずねられ言葉をさがす一次面接 (梨21)
2021
目覚めれば私は二十歳ゆっくりと十代最後の夢を見ようか (わ19)
ペンじゃなくシャーペンで書く8月の予定は未定に近い約束 (梨22)
2022
魔法なんてないし奇跡もおこらないでも運命はちょっと感じる (わ20)
妹と買う色違いのワンピースこうしておばあちゃんになりたい (梨23)
2023
姉と並びパックしながら話してる恋のこと親が年をとること (わ21)
ごほうびがプリンだなんて母の中の私はいったい何歳のまま (梨24)
2024
一斉に楽譜をめくるコーラス隊春がそこからパッと始まる (わ22)
酔っぱらい電話をかけてくる人と宇宙旅行の約束をする (梨25)
歌集にはお母さんのうたも(お父さんのもあるけど…)。なかなかちょっといいです。
逆らって歯みがきせずに眠る子のほおに涙とケチャップのあと 2002
おそろいの浴衣を着れば口数も減って寄り添う真夏の姉妹 2003
キャラメルを並べてたし算教えやる姉のおくれ毛妹の指 2008
入れて出し入れてまた出しクマちゃんをキャンプのリュックに子はそっと入れ 2010
まつ毛まで雪積もらせて帰る子を抱いてさすってこすって溶かす 2011
心配の種を一粒握りしめ子はランドセル下ろさずに泣く 2011
気づかないふりの修業が難しい忍法「中一の母の術」 2011
思春期も反抗期も大あくびして眠ってしまえばただのマシュマロ 2013
鰯雲光る日曜子を誘いセーラー服の採寸に行く
子の髪を編み込みにしてやりながら誰と行くのか聞けないでいる 2015
受験生二人同時に顔を上げ初雪を見るリビングの窓 2017
ゆらゆらと潜りひらひら浮き上がる初夏の人々みなエラ呼吸
夏のおわりせみのぬけがらさるすべり母のまぶたはすぐ閉じるなり
梨子さん中3のときのうた
すぐそこが受験会場でも母はまだついてくる散歩と言って
同じ時期のものではなさそうだけれど(大学受験時?)、お母さんのうた
受験生見えなくなるまで見送ってなぜだろうハラハラ泣けてくる
しかし、一年一首ではやはり物足りなくて、好きな歌を片っ端から集めてみたくなっちゃいました (≧▽≦)
それに、「ソナタを弾こう」は9年にわたる期間で、朝日歌壇以外のうたも収められているので、省かれている入選歌もかなりあるのだな。
まだ未完成だけど、とりあえずはこちら ☛ わこ梨子 歌寄せ