年末年始をまたぐ「横浜人形の家」プチギャラリー展示の模様替え。
この二人はきょうだい。ヘッドは同じ型からつくっています。でも坊主頭だとゴムの繋げ方が違ってくるので構造はちょっと違う。それに坊主頭は男の子なので、からだも違うんですね、当然。
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模様替え作業のあと、人形の家のSさんが館内のイベント展示を案内してくれる。
誕生50周年を記念したモンチッチ展。モンチッチの変遷、モンチッチの山、一面モンチッチの壁…。う~む。人形の家だけでなく、そごう横浜店やみなと博物館やらあちこちでスタンプラリーなどもやっているらしい。
常設特別コーナーの御所人形展示。御所人形は宮廷・皇族などの間で愛玩されたことからその名がついたとか。下々には縁のないものだったのだな。でも紐を引っ張ると舌をべろっと下げる人形などもあって愉快。
☛ 横浜人形の家
御所人形展示のコーナーにいた福松はいなくなってしまったけれど、興味深い話を聞く。
あの人形は山本福松の娘をモデルにしたものとされているが、それを人形の家に寄贈したのは、モデルになった娘さん自身だったそうだ。福松と娘さんは一緒に暮らしていたという。つまりあの人形は山本福松が売り物としてつくったものではなく、自分たちの手元に置くものとしてつくったということだ。人形の家に委ねたとき、娘さんが何歳になっていたのか分からないが、後々まで大切にして欲しかったにちがいない。
ところで、あの人形が着ている着物はあまり上等なものではない(他の写真で見る福松人形が着ているのはほとんど晴れ着といっていい)。自分たちの手元に置くものだから、ということもあるだろうが、それにしてもサイズも大きすぎて人形用に仕立てたものではなく、おそらく人間の子供のものを肩上げ・腰上げしたものだろう。なんだかずいぶんその場しのぎではないのか。差し出がましいが、自分が適当なアンティークの生地でサイズの合ったものを縫ってあげたいものだ、とさえひそかに思っていたのだが、今回の話を聞いて、はっと気が付いた。あの着物は、娘さんが幼い頃に普段から着ていたものに違いない。福松は、あえてその普段着をあの人形に着せたのだ。それを着せ替えてしまうのは、とんでもないことだったのだ。
マリンタワー周辺に修学旅行の中学生たち。